平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

顔も名前もわからない誰かを「思う」(1326文字)

 今回書くことは2013年に千葉の幕張メッセで開催したニコニコ動画のイベント「ニコニコ超会議2」の併設イベントとして「超文学フリマinニコニコ超会議2」にサークル参加した時に、書き手を募って好き勝手にニコニコ動画に関して語ってもらう同人誌を作ったことがありました。そのあとがきにも同じようなことを書きましたが、5年経った今でも改めて感じることもあるので。

 自分がニコニコ動画を使い始めたのは09年でTwitterを使い始めたのは10年。そんでもって悪ふざけにゲーム実況動画を投稿したり、文章をネットの隅に不法投棄し始めたのが11年。なんともノリと勢いは恐ろしいもんで振り返ってみれば「頭がどうかしていた」としか思えないが、この頃は他の実況者や他の同人サークルや物書きの人たちを積極的に交流をしていたと思う。いや、自分が交流してた人たちはもっと多くの人と交流してただろうから、こっちの交流範囲なんてちっぽけなもんかもしれないが。最近はネットだけの知り合いも作らず現実で実際に会う人か、かれこて6~7年の付き合いになるネットの知り合いとしか交流しない。出会ってから6年も経つとそれぞれの生活環境にも変化があるだろうから、気が付いたらもうニコニコ動画とかTwitterが2年くらい前から投稿停止していたりアカウントを消したり、それっきり行方が分からなくなっていいる人もちらほらと。それは仕方ない。むしろ8年も変わらず同じところに定住している自分の方がどうかしていると思う。

 

  『「あいつどうしてるのかな?」って思い出すんだろうか?』

 

 5年前に同人誌のあとがきにこんなことを書きました。今まさに思っています。更新の途絶えたアカウントやその人の作った同人誌を読みながら。不思議なことに疎遠になった中学・高校の同級生なんて1ミリたりともその後の人生の心配なんてしちゃいないのに、顔も本名も解らない誰かのことの方がずっとずっと心配してしまう。多分同級生は仲の良い悪い関係なくそのうちどっかで会う可能性があるからどうでもよく、心配する必要も特にない。だけどもネットだけでの関係性はお釈迦様とカンダタを繋ぐ蜘蛛の糸程度にしかなく、あっけなく切れやすい。だからこそ必要以上に心配し、気になってしまうんだと思う。無駄にSkypeで夜中に3時間も話し込んだ「あいつはどこかで元気にしているかな?」と。

 自分が初めてインターネットに触れた小学5年生くらいの時は2ちゃんねるとかを見て「ネットには危険な輩しかいねぇぞ」と思っていたが、15年くらい経って国民総SNS時代みたいになったおかげで、顔も名前も知らない人とのコミュニケーションを取ることが一般的になってきたから、普通な人イイ人だらけになってきた。いまだに「ネット=危険」な思想が蔓延しているが、ネットも現実も危険なヤツの比率なんてそんなに変わりがない気がする。だってイイ人にネットも現実も関係ないもん。

 

 年に数回しか呟かなくたって、その呟きを見ると少しほっとする。だからこそ、たまには「生存確認」の為にもSNSとかに顔を出してください。顔も名前もわからないそこの「あなた」を待っている人がきっといます。自分は待っています。(1326文字)