平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

時代が求めたエンターテイナー「麻原彰晃」(1261文字)

 絶対にこの人は死刑にならないと思ってたが、麻原尊師含む幹部7人を7月6日に同時死刑執行という盆と正月がいっぺんに来たような出来事があった。自然に死ぬのを待つか、もし執行しても絶対に公表しないと思っていた。もし自分が後継団体の幹部ならば「尊師は無実の罪で国家に殺された!尊師が亡くなったことで世界の均衡が崩れる!見よ!今西日本での大雨で多くの人が死んだのは『ハルマゲドン』の始まりである!」とか言って神格化しただろう。それぐらい尊師の死は諸々の問題が起こるんじゃないかと思っている。

 自分は平成4年の生まれなので正直オウム真理教に関する当時の盛り上がり方や問題視する風潮とかはわからず、とりあえず髭面の汚い顔の変なおっさんが「しょーこ~、しょーこ~、麻原しょーこ~♪」と歌っているイメージしかなく、後に起こすサリン事件がどのくらい世間を震撼させたか解っていなかったりもする。いや覚えていないって言った方が正しいのかもしれない。

 最初は単なる宗教家の変なおじさんだったのが、最終的に危険なテロリストになってしまった訳だが、なんでこんなおっさんが世間からもてはやされてビートたけしとんねるずと共演するような「人気者」になってしまったのか。サリン事件という結果だけを見ると当時を知らない人から言わせれば「危険な人だってことが見抜けなかったの?」と疑問に思うかもしれない。

 これだけ受けた理由は二つあると思っている。一つは世間も自分と同じ「変なおじさん」や「面白おじさん」としか思っていなかったんじゃないかと。同列に置くのは間違っているのかもしれないが美輪明宏江原啓之的な、なんだか普通の人では認知できないようなものを「見える」というスピリチュアル系の人や、細木数子的な占い師系の人が定期的に持ち上げられることがあるが、そういった流れの一部なんじゃないかと思う。もう一つは彼らの掲げる終末論が当時のノストラダムスの預言を含める「人類滅亡ブーム」にうまくマッチしたんじゃないかということ。(本当は死刑の事が無ければ「日本と人類滅亡ブームの関係性」みたいな回でオウムに触れる予定だったんだけども、まさかオウム単発で書くことになるとは…。)

 二つ目の理由は今後触れるとして、バブル崩壊後で先の見えない不安の中で、自分たちの価値観と全く違う所から世界を見て助言を下す尊師を「面白い」と思って見てしまったんじゃないだろうか。そして彼の世界観の中でなら自分も輝けると思ってしまう人も多かったんじゃないだろうか。それがその時代のエンターテイメントとして成立してしまったんじゃないだろうか。自分はそんな気がする。

 今回の死刑執行に関する報道で、執行した人の写真に「執行シール」を張ったりと、まるで実況中継の様な放送をして炎上したテレビ局があるだが、そのニュースを見て「あぁ、尊師は最後までエンターテイナーだったな」としみじみ思いました。平成の頭に起きた大事件も平成の終わりと共に終わらせた感じもするけど、多分何にも解決してはないんだろうなぁ。(1261文字)