平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

スポーツに興味ないが、オリンピックとパラリンピックに思うこと(1597文字)

 そういや今年は平昌冬季オリンピックがあったり、ワールドカップで日本代表がコロンビアに勝ったり、女子テニスで大阪なおみ選手が優勝したりと、何かとスポーツで盛り上がってたみたい。北海道に限った話をすれば、どうせ直ぐにJ2も戻ってくるだろうと思っていたコンサドーレがJ1に残留をしたらしい。やるじゃないの。

 しかし全ての競技に平等に興味がないのですよ自分は。どれだけ日本中が喜ぼうともコロンビア戦の結果を見て「勝ったと喜んでいるが、レッドカード退場からのPKで得た点数と11人対10人の試合にそんなに喜ぶのはおかしいだろ」と難癖をつける始末。なんだかんだいって文句を言う程度にはネット配信で試合観てたんじゃん。それと渋谷に集まってバカ騒ぎしているヤツらはファンとは認めない。

 そんな自分でも印象に残っているスポーツの試合が2つあり、1つは2006年の夏の甲子園の決勝。駒大苫小牧高校と早稲田実業学校が15回まで延長した挙句に決着がつかず、翌日に再試合を行った伝説の試合。野球に興味がない自分も「何だかとんでもなことが起こっているぞ」と思い2日間テレビにかじりついて観ていた。やっぱりあの夏の出来事があるから、あまりファイターズでも活躍は出来ていないかもしれないが斎藤祐樹投手には「頑張ってくれ、あの夏の姿をもう一度見せてくれ!」っと道民として応援してしまうんですよ。野球に興味はないんだけどね。

 もう1つの試合は2006年のサッカードイツW杯のブラジル戦で負けた後に中田英寿選手がセンターサークルで仰向けのまま倒れてるシーン。その直後に引退発表がある訳だが、あの天を仰いでいる時一体何を考えていたんだろうと妙に印象に残っているんですよね。

 どうやら自分にとって2006年は興味ないなりに興味があった矛盾した年だったんですね。なかなか興味深いな。

 

 さて、来る2020年に東京でオリンピックが開催されます。あらゆる問題が噴出しては一体どうなって行くのかが見ものですが、ここで1つ夏季冬季関係なく常々オリンピック・パラリンピックに思っていることを言おう。

 なんでパラリンピックはオリンピックに比べて中継数も特集もがっつり減るんだろうな?理由はおそらくみんな見ないからという単純なことだと思う。オリもパラも平等に興味がないのでほぼ観ない自分が言うのも変な話だが、これって潜在的障がい者差別みたいなもんだと思うんですよね。あまり「障がい者」って言葉が好きじゃないので使いたくは無いが、「障がい者を差別しませんよ!みんな平等!」なんて口ではいくらでも言えるが、結局は自分も含めみんな彼らを下に見ているんだと思う。それが結局中継数の少なさとかに直結してきてるんだと思う。「愛は地球を救う」なんて言って年に一度お涙頂戴なことするぐらいならパラリンピックを含め障がい者スポーツにもっと光を当ててやれよって思う。

 車いすに乗ってテニスしているのとか凄いと思うんだよね。だって座ったままボール打つのも力必要だけど、その上移動にも力が必要だから腕なんてパンパンになるぞ。チェアスキーの疾走感とか普通のスキーと変わらないからな。身体的な欠損はあるけど、欠損のない人より凄いことをしてるからな。

 本当に一番いい方法はオリとパラを同日開催にすることなんだろうけど、やっぱりそれは色々と設備や人員の問題で難しいことなんだろうね。レスリングが五輪種目から除外されそうになった時に、敵対国のアメリカとイラン同じテーブルに着き話し合いをしたように、国際的政治問題すらを超える力がスポーツにはあるんだから、オリ・パラの垣根ぐらい簡単に超えられないもんかね。

 まぁ散々語ったうえで再度言いますが、自分は平等に興味がないので多分東京五輪を見ることはないと思いますが、みなさんはオリンピックもパラリンピックも両方是非観て下さい。他人任せです!(1597)