平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

オツベルと象のオチの解釈(959文字)

 中学一年生の国語で宮沢賢治の「オツベルと象」ってお話を習った。オツベルっておじさんが、自分の仕事場に遊びに来た白象を色々と騙して、過酷な労度を強いたら仲間の象達が助けに来て、結果的に象につぶされたオツベルは地面のシミとなり無事白象は助かるってお話。ブラック企業に労基署がやってきたみたいなもんだ。

 この話は牛飼いが「昔オツベルってやつがいてさぁ」って感じで昔話を語るように物語が進んでいくが、最後はこの一文で締められている。

 

 おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。(青空文庫より)

 自分が中学の時使った教科書には一字不明の部分がなかったが、それまでの象達のやり取りの後に突然この文章が出てくる。当時は牛飼いが勝手に川に向かって歩き出した牛さんに向かっての一言だと解釈していた。だけどこの一文は、宮沢賢治自身が読者に対しての一言なんじゃないかと思う。

 一字不明もなんだか気になるし、「川へ入っちゃ」なのか「川へは行っちゃ」なのかも気になるが、ここで重要なのは「川」ってキーワードだと思う。川に入ってぼーっとしていると、当たり前だがそのまま流されてしまう。オツベルに言われるがまま流されて酷い目に合う白象の様子を、川に流される状況に例えて「君達も、何も考えずに周りの人や悪い人に流されるように生きるなよ」っていう忠告なんだと思う。

 オツベルと象が発表されたのが1926年らしいが、1929年に小林多喜二蟹工船が発表されている。蟹工船も過酷な労働環境を舞台にした有名な物語だが、こうも続けてブラックなお仕事物語が作られるって事は1920年代は一体どんな劣悪な状態だったんだろうかと想像してしまう。

 あれから100年近く経って仕事も便利になったけど、結局毎年3万人近く自殺してしまったり、ブラック企業の過労死や過労自殺が減らないところを見ると、受けるストレスやダメージの種類が変わっただけで、RPGのダメージ判定のように自分の頭の上にで数字でも出てきたら、きっと100年前の人達とそんなに変わっていないのかもしれない。だけど残念ながら自分も含めて大半の人は川に流される人生しかないので、せめてダメージの少ない住み心地ならぬ流れ心地のよい川を探して、うまく受け身を取りながらどんぶらこと流されていくしかないのです。(959文字)

宮沢賢治 オツベルと象