平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

常識VSジョウシキ(1085文字)

 最近ネットニュースでヘルプマークを知らない子供に奪われそうになったって話が話題になっていた。ヘルプマークっていうのは、外見からは分かりにくい身体障がいなどを意思表示する赤い十字マークがついた札で、カバンからぶら下げている人をよく見る。決して「I,Loveスイス」って意思表示の為の札ではない。

 その人は突然カバンを引っ張られたから何かと思ったら、知らない子供がヘルプマークを引っ張っていて、本体は守れたけど壊れたストラップの部分は持っていかれたらしい。んでその子供の親がやって来て、謝罪をするのかと思いきや「うちの子供が欲しがっているから頂戴」と常識を疑うようなこと言ってきたらしい。

 街行く他人がいくら魅力的なモノを持っていようと、いきなり「それくれませんか?」とは言わないし、ましては力業で奪い取ろうとなんてしない。せいぜい「スミマセン、それ何処で買いましたか?」程度だと思う。親からは当然のように「人のモノを盗ってはいけない」と教わるし、もし教わらなかったとしても他人と交流をしていれば幼少期から自然と身についてくる「常識」だと思う。しかし件の親子は自分たちが身に着けてきた常識を一切持っていないらしい。最初このニュースを見た時は「頭のおかしい非常識人」だと思ったが、最近になってふと思いついたことがある。

 もしかすると、自分が思っている以上に知らない人にいきなり「それ頂戴」とねだると「ん?別にいい。はいどうぞ」とくれる人が多いんじゃないかと。その親がどれくらいの年齢かは分からないが晩婚化している世相や、引きちぎるほどの力がある子供がいることを考慮して40歳くらいとしよう。40年も生きていればどこかで盗ったり物乞いしたりしちゃいけない「常識」や空気感に触れるはずだけど、そこに一切触れなかったその親子にとっては「他人にねだると貰える」ってこそが「常識」になっているのじゃないかと。だからこそ他人のものを何の恥もなく頂戴と言えるんだと思う。そうなってくるとお互い常識同士のぶつかり合いになってしまうので、どっちが正しいとかじゃなくなってくる。

 まぁ確かに誰も何も他人に与えない殺伐とした社会よりも、何かしら分け与え合える社会の方が優しさに満ち溢れた素敵な社会だとは思うが、自分はどうしても恥の方が勝ってしまうので、赤の他人に「それくれ」とは言えないな。
 ちなみに知らない人にモノをねだった経験やねだられた経験の話を検索してみたら、タレントのYOUさんがよく知らない人にモノをねだるらしい。タレントってスゴイナー(棒読み)(1085文字)

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