平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

映画館は誰の居場所?(1706文字)

 北海道新聞の朝刊にはラジオ欄の下に必ず札幌市内の映画館での公開作品の上映時間の一覧が載っている。これを見たい映画があるかないかは別として毎日見ているのがだ、公開時期が奇跡のタイミングだったらしく、札幌駅の映画館での上映作品の半分くらいがアニメもしくはオタク系の実写化映画で占められていた。味噌汁をすすりながら「もう映画館で映画を見るのはオタクしかいないのかもしれんなぁ」と思った。あとはジャニーズ系かAKB系か坂道系のアイドルを主演に映画をファン達が映画館で見ているのかもしれない。

 

 自分は年間で10本程度しか映画館で映画を観ないが、この10年を振り返ってみてもおそらく邦画洋画合わせて実写映画は5本くらしか見ていない気がする。あとは全部アニメだ。別に実写映画に全く興味がないわけじゃないんだけれども、何となくアニメの方が優先順位が先で実写を後回しにしているうちに公開終了しているなんことがよくある。

 中学生の頃から年映画館に通うようになったが、その頃は大きい映画館で邦洋問わず実写映画を見ていたが、高校生くらいから小さな映画館でマイナーな邦画ばかりを見るようになり、大学生くらいからアニメ映画ばかりを見に行くようになった。

 最終的にアニメ映画に定住してしまった理由は、おそらく実写よりも「変なモノ」を見せられる確率が高いとからだと思う。ストーリもそうだが映像表現として、実写と違って全てを描かなければ映像にならないが、その代わり実写よりも自由度は無限大にある。だから作り手のセンス100%の映像を見せられた時に「こりゃすげぇな。」ってなる。この感動って実写にはないベクトルの感動なんだよね。例えば人が突然羽根を生やして飛ぶシーンを作るとする。今の時代CG処理で違和感なく生やしてクロマキー合成でいくらでも飛ばせられるけど、ベースが生身の人間である以上絶対に出来ない無理な部分が出てくる。だけど実在しないキャラクターならば違和感なく表現できてしまう。だからアニメって面白いのかもしれない。

 

 元は「映画館にはアニメ系・アイドル系のオタクしかいないのか?」って話だったので、そっちの話に戻す。

 結論から言ってしまえば、結局わざわざ映画館で見る必要性が無くなったんだと思う。だってYoutubeAmazonで新作映画を自宅でワンコインで気軽に好きな時間に見れる時代に、わざわざ1800円払って決まった上映時間に2時間拘束されるなんて不便極まりないもん。自宅で見るなら「ちょっと待って、今のところよく分からなかった」とか「今のシーン凄かったからもう一回見直そう」とかの巻き戻しが出来るけど、映画館だと自分の理解力を無視しきって2時間過ぎてゆくからな。映画はテレビの登場で一度死んだけど、ネットの動画配信サービスの登場で二度目の死を迎えたんだと思う。3Dや4DXとかもあるけど結局は主流は従来の平面の映画のまま。

 だからこそ劇場に来てほしくて特典商法とかするしかなくなって、それにまんまと釣られてしまう自分を含めたオタク層しか来なくなるんだと思う。アニメ作品はまだ釣れるエサがあるからいい。邦画実写はバラエティー番組の番宣で何とかできるからいい。問題は洋画作品にどうやって人を呼び込むか。

 最近センスのないダサい邦題とポスター問題が話題になっているが、みんな映画館に行かないんだから、どうやったって分かりやすい表現を取るしかなくなってくるのは当たり前な事だと思う。コアな映画ファンは「本来のタイトルとポスターの方がセンスがイイ!」とブチ切れてるのは解るけど、結局そのままのモノで宣伝されて見に行くのは君たち映画ファンだけでしかな。

 

 シネコン系の映画館と小さな劇場でコアな映画ばかりを上映する映画館とでは、客層は全く違くて後者の方が映画ファンが多い。わざわざ映画館で見る映画ファンはもう小さいところに集まる程度の数しかいないのかもしれない。きっとコアな映画ファンもSNSで一生懸命「アレが面白かった」「コレがヤバかった」と口コミをしてるんだろうけど、その口コミが届かない程に世の中は映画に興味を持っていないんだろうなぁ。(1706文字)