平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

「内」にこもるリア充と「外」を目指すコミュ障オタク(1539文字)

 一般的にリア充とかパリピパーリーピーポー、パーティ・ピープルの略)とか呼ばれている人達は、コミュニケーション能力が高く誰とでも仲良くなり肩組んでお酒を飲むイメージがある。いや、もしかしたら自分だけの偏見かもしれない。一方オタクは自分の殻に閉じこもって限られた友達と狭い話ばかりをしているイメージがある。これも自分だけの偏見かもしれない。というかオタクのイメージが自己紹介にしかなっていないな、これ。

 そんな訳で偏見だらけの話は続けるけど、実はコミュ力の高さと人間関係の規模の関係性は世間が思ってるのとちょっと違うんじゃないかと思うのです。例えば40人で1クラスの学校の教室を想像して欲しい。コミュ力の高いカーストの上位に鎮座できるリア充さん達は、大体の人と仲良くなれるのでクラスの2~30人とは仲良くなれる。一方自分の様な石の下のダンゴムシの様な存在はその輪には入れるはずもなく孤立する訳ですよ。となると必然と自分と仲良く出来る様な人を求めて旅にでなきゃならなくなるんですよ。要はリア充は狭い世界で仲間を見つけて、オタクは外側の広い世界で仲間を見つけないといけないって事なんだけど、別にどっちが正しいとか偉いとかの話ではない。自分が中高生の頃と違って、今の中高生はみんなスマホを持っているのでクラスになじめないダンゴムシ諸君もSNSで容易に仲間を見つける事が出来るので大変生きやすくなっているのではないかと思う。いや、むしろLINEやTwitterのせいで24時間双監視社会になっていて大変なのかな?

 とりあえずオタクにとってはSNSは便利な仲間探索ツールなのかもしれないけど、リア充さん達にとってはどうなのか?あまり「インターネット」ってものの広さと危険性を理解していないまま、狭い世界の仲間とだけ繋がる為や連絡手段だけの為に使うと大変な事になる。

 スマホでネット世代を象徴する事件が「バイトテロ(バカッター)問題」だと思う。SNSに悪ふざけ動画や画像を投稿しては炎上する事件が立て続けに起こった。その時「何でこれだけ問題になっているのに、するバカが減らないのか?」って疑問がネットで多く出てきた。答えは簡単で彼らにとってはSNSが「狭い世界の仲間との連絡手段でしかない」からだ。きっと火柱をあげた人達は、自分達に向けてなんて発信していない。あくまでも相互フォローしている実社会での友達に面白画像を見せてあげただけに過ぎない。そして得られる情報は友達の日常だけで、決してネットの住人達や世間が問題視している情報なんて入ってくる隙間がない。電話で通話中に勝手に天気予報や時報が割り込んでくるはずがないのと一緒である。

 まるでリア充をバカにし見下しているような内容になってきたが、決してそうじゃない。最近自分よりも下の世代でリア充系の人たちを接する機会が多く、彼らのTwitterを見てみると身元が特定できそうなアカウント名や、ばっちし本名で使っている人達もいるが総じて鍵付きのアカウントにしている。そして彼らの友達もまた鍵付きのアカウントにしている。ネットリテラシーが高くなるような学校教育が行われているのか、それとも当人に聞こえないように身内で悪口を言うための鍵なのか…。

 どちらにせよ、リア充さんグループの人達はネット内でも実社会の友達だけの狭い世界でコミュニケーションを取って、実社会になじめないコミュ障オタクさん達は広大なネットの世界に向かって、自分という存在を知ってもらいたくて旅に出る。さっきも言ったけど、別にどっちが正しいとか偉いとかじゃない。だけどきっと後者の方が自分に直接関わってくる世界が広い気がする。コミュ障なのに世界が広いってのも何だか変な話だなぁ。(1539文字)