平成生まれが平成の終わりに色々考える

近代史を振り返るとかじゃなくて、漠然と思った事など。

「誰でもよかった」で10年~秋葉原から新幹線まで~(1765文字)

 ものごとの大きな区切りや振り返りとしてだいだい「10年」が使われている事が多い。高2で京都に修学旅行に行ったのがもう10年も前なのだと思うと、ありきたりな言葉ではあるが「早いもんだな」の一言に尽きる。あと当時熱心に聴いていたラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!(TOKYO FM」の企画で10代限定のアマチュアバンドの大会「閃光ライオット」ってのが夏にあって、どのバンドも総じて完成度が高く「世の中には同じ10代なのにここまで才能のある人達がいるのか⁉⁉」驚かされていた。ちなみに初代優勝者は北海道稚内出身のバンドGalileo Galileiで後にアニメやドラマの主題歌を担当するほど有名になった。2年ほど前にPCが壊れてやることが無かったので久々にSOL!を聴いてみたら「未確認フェスティバル」と名前を変えて今も10代のすげぇ奴らが夏に競いあっているので興味がある人は聴いて欲しい。本当にすげぇから。

 話は変わるが08年の夏に完結する予定だったヱヴァンゲリヲン新劇場版は10年経っても終わっていない。シン・ゴジラを作ってやっと庵野監督も元気を取りもどしたようで、最近シン・エヴァンゲリオン劇場版:||のスタッフを募集したりと何やら動きを見せてきたりしているようだ。

 個人的に楽しみにしているのはニコニコ動画で活動していた好きなゲーム実況者が10年前に「羅刹ラジオ」って大型ラジオイベントを開催して当時の実況ファンを賑わしたらしいが、10年経った今アニバーサリー的なイベントがないかと期待している。

 楽しい感じの「10年」をツラツラと書き並べてきたが、今回の本題はそこじゃなくてもっと暗い話。

 

 10年前の6月8日、白昼の秋葉原歩行者天国を襲った「秋葉原通り魔事件(通称:秋葉原無差別殺傷事件)」について。25歳の男がたった一人で死者7人負傷者10人とアメリカの銃乱射事件並みの被害をだしたこの事件の最大の特徴は「誰でもよかった」っていう殺害動機。普通は特定の誰かを殺したくなるものだが、この珍しい発想は後の通り魔事件ブームに多大な影響を与えたらしく、普通に生活していていつ殺されるか分からない状態に。言うならば昨今のイスラムの過激派のテロに怯えているヨーロッパとあまり変わりがない状態だ。まさに通り魔なんてもんじゃなくテロそのものだ。

 当時犯人の生い立ちや人物像に関してしつこく報道されていて、負け組による勝ち組への叛逆なんて感じである意味英雄扱いされていたりもした。自分自身も英雄視とまではいかないが「世の中、就職氷河期とか派遣切りとかでガタついてるから、ある意味ここまでさせた社会の『被害者』みたいなもんだな」なんて思っていました。嫌な高2だこと。

 この事件を起こした当時の彼と同じような歳になって、今思うことは「きっと彼と自分はそんなに違いはない」ってこと。これは特別彼にだけ思うっている訳じゃなくて、何か大きな事件が起きた時「犯人と自分の違いなんて実はないんじゃ?」って思ってしまうある意味癖のようなもの。これは「自分」だけじゃなくて「みんな」とも変わらないはと思う。犯罪者だって犯罪を犯す前まではご飯と食べて満足して、テレビを見て笑って、仕事で辛い目にあったりと本当に自分たちと何一つ変わらない生活を送っていたと思うんだよね。だけどどうしても「自分」と「犯罪者」を別の人種として捉えて一方的に責め立てる。確かに悪い事をしたんだから責められても仕方がない。だけども別の人種といて捉えて「今後、こういった悲劇が起こらないように~」なんてことを、他人事の様にしゃべる社会学者とか新橋駅前のほろ酔いサラリーマンとかを見ていると「無くならないんだろうな、この手の犯罪」って思ってしまう。

 本当に世の中から悲劇をなくしたのなら「犯人と自分が別人種」なんて思うな。博愛主義になれとまでは言わないが、他人を思いやる気持ちを善人にだけ持つのではなく彼らに対しても持ち、そして共感することで初めて周りの「予備軍」に気が付いてあげることが出来るのではないだろうか?

 

 2018年6月9日東海道新幹線のぞみ265号の車内で22歳の男がナタで1人殺し2人負傷した。「誰でもよかった」そうです。この手の犯罪もまだ10年は続きそうですね。(1765文字)

大魔王より怖い暴走コンピュータ(954文字)

 当時小学4年生くらいだった自分はどれくらい「ノストラダムスの大予言」を信じていたかはもはや解らないが、休み時間に友達と校庭で空を見上げながら「大王来ないじゃん」と話していた事は覚えている。あの当時ノストラダムスの事を本気で信じていた人は一体どのくらいいたんだろうか?芥川賞を取った劇作家で小説家の本谷有希子さんが「本谷有希子のオールナイトニッポンニッポン放送)」か「トップランナーNHK総合)」のどっちで話してたか定かではないが、高校生の時に「どうせ99年の7月に死ぬんだからマイ枕持参で登校して授業中寝ていた」といった話をしていた。だからそれなりに人の生活態度を変えてしまう程度には信じている人もいたらしいことが伺える。

 んで、自分は得体のしれない大魔王に人類を滅ぼされることよりも関心があったのは「2000年問題」で、こっちの方が「何やらまずいことが起こるらしい⁉」と世間の大人が心配しているのをよそにワクワクしていた。ざっくりと2000年問題を説明すると、コンピュータでの日付の表記を西暦の下2桁で処理してた為に、2000年になった瞬間1900年と勘違いしてコンピュータが誤作動を起こして水道や電気が止まったり、最悪ミサイルが飛んできたり…。

 そして大晦日。オードブルを食べながら大晦日恒例のドラえもんSPや紅白歌合戦を見ながら、当時総額4億円が当たるコカ・コーラの2000年の運だめしキャンペーンが当たる事を願いつつ、ポリタンクと水筒に水を溜め懐中電灯を乾電池を用意して、その瞬間を待機。

 ついにテレビからはカウントダウンが始まる。懐中電灯を握る。「さぁ、年が明けると消えるぞ。消えちゃうぞ!」と胸が高まる。

 

           3!2!1!0!

 

 …………ん?明けたんだよ…ね?とりあえず電気が止まっていないことは分かった。じゃぁ水道は?あっ、水出た!…じゃぁ寝るか、オヤスミ。

 あれだけワクワクしていた2000年問題も恐怖の大魔王同様大したことが無かった。ただ今回調べてみて分かったが、89年からこの問題にある程度対策をしてたらしい。それとこの年は閏年だったらしく2000年2月29日に色々と問題が起きたらしい。

この先はどんなワクワクする問題がやってくるんだろか?いや、問題をワクワクしながら待つ年齢じゃないか。(954文字)

アニメ・漫画VS表現規制(1181文字)

 5月の初めに新潟で女の子が電車に轢かれて死んだ。っと思いきやどうやら事故死に見せかけて殺人事件だったらしく、のちに23歳の男性会社員が逮捕された。どうもこの事件が起きる前にも女子中学生を連れまわしたりして逮捕歴があったりもする筋金入りの子供好きらしい。悪い意味で。そして厄介なことにアニメ・漫画も好きだということで、いつも通りの「アニメ・漫画悪影響論」が湧いて出てくること。

 この類の事件でもっとも有名なのが88・89年と昭和と平成を跨いだ、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件こと俗に言う「宮崎事件」であり、オタクバッシングの先駆けともいえる事件だ。この事件でも犯人の家の撮影時に大量にある雑誌の中からあえて成人雑誌を上にしたり、なんでもないビデオテープも成人向けのモノとして数をカウントしたりと印象操作の嵐だったらしい。

 26歳にもまってアニメ・漫画を卒業できていない自分が胸を張って言えることではないが、こういった印象操作は大変迷惑なことであり、そして「アニメ・漫画は悪である」といった考え方が流布されることは残念なことだ。当然だがアニメ・漫画もっと言えば映画も小説も含んだ「空想の物語」には何の罪もない。悪いのは影響を受けている犯人であることは間違いない。

 しかしだ、自分はいつもこの考え方を持ちつつ「そうかもなぁ」とも思ってしまう。もしアニメ・漫画が人になんにも影響を与えないモノだとしたら、もしアニメ・漫画から影響を受けないとしたら、おそらく自分はアニメ・漫画なんて見ていないと思うんだよね。「アニメ・漫画に悪影響なんてない!」と断言する人達に問いたい。それを見ることで笑ったり、泣いたり、興奮したり、ハッとさせられたり、エッチな気分になったりする訳で、それを「影響」と言わずして何だと言うのだ?実生活上での考え方を覆すような何気ないセリフや、確信めいたセリフに「影響」される様なことはないのだろうか?世界中の有名サッカー選手が「俺はキャプテン翼にあこがれてサッカー選手になったんだ!」という善の側面だけを「アニメ素晴らしい!漫画素晴らしい!」と謳いながら、事件だけは「ソンナワケナイジャン」っと知らん顔しているんじゃないだろうか?

 自分たち「オタク」に分類されている人種は「空想の物語」にある「薬と毒」の強さを本来自覚しているはずじゃないかの?トリカブトの様に人を助けることもあれば、あっけなく殺すこともある。自分も含め、不当なバッシングに反論している人達もたまたま薬的側面が強く効いただけの事でしかない。だけどその反対側にいたかもしれないって事は常に頭の片隅に入れていないといけない。

 確かに悪いのは悪影響を受けた側の問題であるけども「影響なんてない!」なんてことを、声高らかに言い切るウソつきを自分は許さない。あれ?表現規制の話を一切してないぞ…。(1181文字)

ひとりを恐れるな!ボッチ飯!!(1180文字)

 ここ最近本屋の漫画コーナーに行って増えたなぁと思うジャンルの一つに「食事」を題材にした漫画がある。あとプラスαで「疑似家族」の要素も入ってる場合もちらほらと。「食事をしない人はいないので描きやすい題材である」か、「『最近流行っているからお前も描け』と編集者が新人に描かせているから増えた」あたりが正解なのかもしれないが、なぜこれだけ流行っているのかを考えてみた。ちなみにこれだけ食事系漫画が増えている中で唯一読んだ漫画が稲山覚也先生の「てんむす」という女子高生の大食い競技を描いた作品だけで、個人的に面白かったんだけどココで触れるには場違いな作品なので気になる人は個人で調べて読んでくれ。

 90年代の社会問題として「個食」という言葉の登場。00年代には「孤食」と「ランチメイト症候群」俗に言う「トイレ飯」のこと。そして10年代には「おひとり様ランチ」「ぼっち席」の登場と、家の中でひとりでご飯を食べていた状況から20年弱で外でもひとりでご飯を食べる人が多くなってきたらしい。僕自身も大学生の時は昼食をよくひとりで食べていました。単純に友達が少なかったので。でも特にそれが恥ずかしい事だとも思っていなく、トイレで寂しくパンをかじることなく、学食のカウンター席でモリモリ食べていましたよ。そのおかげで家族以外の人と食事に行くのが苦手で、しかも元々早食い体質なので他人に合わせる事が出来ず、会話が弾まないのなんの。あと食事にこだわりが無いので、基本的に食べたいものがないのがデカいかもしれない。(じゃぁなんで病院からダイエットを命じられる程太ってるんだ?)

 僕の話はどうでもよくて、この「ひとりで食事」な人たちが増えたのが昨今の「食事漫画(+疑似家族)」の増えた一番の要因なんじゃないかと思う。みんな平気な顔してひとりで食事に行ったり遊びに行ったりしているが、結局のところ「寂しい」のだと思う。自覚して寂しいとは思っていはいないのかもしれないが、潜在的には「誰かとご飯いきたいなぁ」「誰かと楽しく過ごしたいなぁ」と思っていて、その結果が漫画を代用して気持ちを埋めさせるって事にたどり着いたんじゃないだろうか。

 僕はさっき書いたとおり人と食事に行くのが苦手なので、むしろ寂しさを持たずひとりで行けるから「食事漫画」に興味が向かないのかもしれない。けどやっぱりひとりで楽しめる事には限度ってものがあって、僕はよくひとりで東京にいって美術館を巡る旅行をするが、最近同じ美術館・博物館ばかりに行くひとり旅行に寂しさと「自分は何をやっているんだ」感が強くなってきたので、そろそろ誰かと旅行にも行きたくなってきたりもしています。

 

        「独りぼっちは、寂しいもんな…。」

 

 アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」で佐倉杏子が言ったセリフであるが、まさにその通りだなぁとしみじみと思うねぇ。(1180文字)

 

はて?〇〇世代?(791文字)

 50年代に生まれ育った人達は小中学生の時に64年の東京オリンピック、69年にアポロ11号が人類初の月面着陸を達成して、そして翌年70年に日本万国博覧会が開催される。あの有名な「大阪万博(EXPO'70)」である。

 70年代に生まれた人達は小中学生の時に宇宙戦艦ヤマト機動戦士ガンダムのテレビ放送。笑っていいとも、徹子の部屋などの長寿番組の誕生。アイドルの登場。東京ディズニーランドの開園。任天堂からファミリーコンピュータ、NTTからショルダーフォン、ソニーからCDの発売。そして日本経済はバブル景気へ…。テレビドラマ化もされた漫画家島本和彦著「アオイホノウ」から言葉を借りるならば70年代後半から80年代はまさに「若者のファッションと文化が一斉に開花した時代」そのものである。

 自分はいつも羨ましく思うんですよ。世界的なビッグイベントが立て続けにあった「万博世代」と、文化と経済に恵まれた「バブル世代」のこの2大世代が。

 さてさて、ならば自分が生まれ育った90年・00年代はいったい「〇〇世代」にカテゴライズされるのだろうか?特別何か世の中を楽しませたイベントもなく、バブル崩壊であれだけ盛り上がってたのに突然どん底まで叩き落され、何の夢も希望もなく、ただただ厳しい現実社会を歩かされ続けるだけ。まさに「失われた20年」にふさわしい空白っぷりだ。

 昔NHKのBS2で「日めくりタイムトラベル」という昭和30年から昭和64年(平成元年)までを3時間で一つの年代を取り上げる大変面白い番組があったが、もし平成版が作られるならきっと何も盛り上がるような話題がないような気がする。インターネットの一般普及化ときんさん・ぎんさんが「100歳、100歳」ぐらいしかおめでたく、楽しい話題がない気がする。

 

 結局僕たち平成生まれは昭和末期の80年代の余波で何とか生きながらえてるだけなのか…?(791文字)

 

あいさつ

 はじめまして、伊藤チクワと申します。普段はTwitter@ItouP18)でしょうもない事を呟いていますが、久々にブログを始めてみようと思いました。約5年ぶりのブログです。今までFC2・Yahooブログ・アメーバブログ・ブロマガ(ニコニコ動画)・livedoorBlogとあらゆる所で始めるも「Twitterの方が便利だし楽だな」の一言で結果的に全ブログ廃棄状態に。

 ときどき「これTwitter言うほどじゃなければ、ましてや言いにくい事だしなぁ」とブログを始めようと思うこともありました。しかし永世名誉無精者の名に恥じぬ腰の重さでなかなか始めなかったのですが、今回ブログのタイトル通り「平成」をテーマにしたら多少は書けるのではないかと。

 ただ、30年間の近代史を振り返ったり「平成とはなんだったのか」論を語るわけでもないです。「こんな事あったよね」とか「それに対して僕はこう思ったよ」とか、どちらかと言えば自分史に近いところがあるかもしれません。いいじゃないですか個人ブログなので。